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夏目漱石 《永日小品》—《元日》 個人翻譯

作者:由 芥川二十三 發表于 詩詞時間:2019-03-24

《永日小品》是夏目漱石先生的隨筆雜文以及一些小說集,個人在網上沒發現有完整的中文翻譯版本,遂斗膽個人翻譯一下,以做練筆之用。

元旦

吃過年糕湯,退到書房後不久便有四五個人過來拜訪,其全都是年輕男子。其中一人身著長衣,或許是因為穿不大慣,外套上的紡毛讓他有點不自在。其餘的人都穿著和服,這樣一對比他那樣普通的衣著就完全不像是新年該有的。大夥看向長衣君,挨個驚歎著:“哎呀呀呀呀。” 我也跟在後邊附和了一句:“哎喲喲。”

長衣君拿出白色手帕,擦了擦若無其事的臉,之後開始不停的喝起屠蘇酒來。正當其他人圍在大飯桌前時,虛子(注:高

濱虛子,俳句詩人。)坐著車到了。他穿的黑和服外褂上付著黑色的家徽,確實是相當古老的紋飾。

我問他道:“你帶著黑家徽了啊,果然要彰顯能力這是必不可少的吧。”

“啊,確實。”虛子回答我後再說道:“要不要唱一曲兒呢?”

我應和著他:“唱一下也不錯啊。”

之後我倆人一同唱了一首名為《東北》的曲子,我只在很久以前學過,可完全沒有預先試唱一下,不少地方都是打著馬虎眼過去的,並且聲音又低又沒自信。

好容易唱完了,諸位年輕的聽客跟商量好了一樣表示我唱的很難聽,長衣君更是點明瞭我聲音太小。

我想這幫人裡沒有一個對哼歌的哼字(原文:謡のうの字,疑是文字遊戲)有任何心得的吧,因此才不知道虛子和我的強弱項吧。

但是啊,一但被批評了,即使是本來就不會的外行也不得不把這當理所當然的事情接受了。這樣一來我也沒好意思罵他們蠢蛋。

接著虛子開始說自己最近在學習打鼓的事情,一幫連哼都不甚清楚的人遂開始起鬨道:“表演一下讓我們觀賞吧,請務必讓我們聽一聽。”

虛子便找我幫忙:“那麼,請你來幫我伴唱吧?”

我壓根不知道伴唱是何物,雖然有些迷惑,對這新鮮玩意我也有了興趣,就答應同他伴唱了。虛子讓車伕把他的鼓給取來,拿過了鼓再從廚房端了個七釐炭爐,他便開始在熊熊燃燒的炭火上烘烤鼓皮。

大夥無一不驚訝的瞧著,我也被這種猛烈的烤法驚到了,問了他一句:“這樣沒事吧?”

“沒問題的。”虛子一邊回答,一邊用手指在繃緊的鼓皮上彈打了一下,“音色正好,已經可以了。”

說著他把鼓從炭火上拿下來,把鼓上的繩子繫好。說起來一個穿著紋飾和服的男人,擺弄著紅線的場景莫名的有些高雅,這時大家也都帶著敬佩的目光看著這一幕。

虛子隨後脫下和服,將鼓摟住。我請他稍微等一會兒,我想完成一場不錯的配合,但他在什麼節點打鼓我還抓不到。

虛子遂向我周密仔細的說明著在這兒響幾聲號子,在這兒我要如此打你要這麼唱。然而我幾乎沒法領會消化下來,但要研究到我完全清楚的地步的話,三兩個小時是少不了的,沒辦法只能不清不楚硬著頭皮上了。

我所唱的是羽衣曲,可“春霞來崇滿盈天”剛唱到一半,聲音怎麼也發不好就開始後悔了,相當沒有底氣。因為整體的調子已經垮掉了,我壓著聲音萎靡因循的唱下去,然而中途突然變調,虛子冷不防的猛叫一聲號,重重的打了一下鼓。

我是做夢也沒料到虛子給我來這一套,本來我以為叫號聲都是優美婉轉、清新悠長的,但這聲就跟生死對決一樣撼動著我的耳膜。

這叫號聲接連攻擊了兩三波我的歌聲,總算靜下來之時,虛子卻仍在一旁滿腔怒火的威脅著人。我的聲音每被威脅一下就抖一下,漸漸變得小聲,片刻後聽客們都嚇嚇的竊笑起來了。

我自己都打心眼裡覺得自己很愚蠢,這時長衣君率先表態,明面的笑出了聲,我也隨著這笑意一同笑了起來。

後面受了一堆批評,其中自然還是長衣君最樂於挖苦。虛子則微笑著,無奈的自鼓自歌,順利的完成了整首曲子。不一會兒便道“有要事,先辭一步”後坐車回去了。

虛子走後這幫年輕人便開始嘲諷起他了,甚至連妻子也一塊貶了他一道。不過妻子還是誇獎了一句:“高濱打鼓的時候,襯衫袖子飄飄然的模樣和那顏色可是真不錯啊。” 這點長衣君也是立刻跟著贊同的。

不過我倒認為不管是虛子襯衫袖子的顏色還是那副飄飄然的模樣,都不怎麼樣。

原文:

元日

雑煮ぞうにを食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人來た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを著ている。著なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾かたむきがある。あとのものは皆和服で、かつ不斷著ふだんぎのままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ雲った。みんな驚いた証拠しょうこである。自分も一番あとで、やあと雲った。

フロックは白い手巾ハンケチを出して、用もない顔を拭ふいた。そうして、しきりに屠蘇とそを飲んだ。ほかの連中も大いに膳ぜんのものを突つッついている。ところへ虛子きょしが車で來た。これは黒い羽織に黒い紋付もんつきを著て、極きわめて舊式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能のうをやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虛子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡うたいませんかと雲い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。

それから二人して東北とうぼくと雲うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と雲う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧あいまいである。その上、我ながら覚束おぼつかない聲が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと雲い出した。中にもフロックは、あなたの聲はひょろひょろしていると雲った。この連中は元來謡うたいのうの字も心得ないもの共である。だから虛子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人しろうとでも理の當然なところだからやむをえない。馬鹿を雲えという勇気も出なかった。

すると虛子が近來鼓つづみを習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望しょもうしている。虛子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃はやしの何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新ざんしんという興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虛子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、臺所から七輪しちりんを持って來さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙あぶり始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾はじいた。ちょっと好い音ねがした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒おを締しめにかかった。紋服もんぷくの男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品ひんが好い。今度はみんな感心して見ている。

虛子はやがて羽織を脫いだ。そうして鼓を抱かい込こんだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見當けんとうがつかないからちょっと打ち合せをしたい。虛子は、ここで掛聲かけごえをいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇ねんごろに説明してくれた。自分にはとても呑のみ込こめない。けれども合點がてんの行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承りょうしょうした。そこで羽衣はごろもの曲くせを謡い出した。春霞はるがすみたなびきにけりと半行ほど來るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総體の調子が崩くずれるから、萎靡因循いびいんじゅんのまま、少し押して行くと、虛子がやにわに大きな掛聲をかけて、鼓つづみをかんと一つ打った。

自分は虛子がこう猛烈に來ようとは夢にも予期していなかった。元來が優美な悠長ゆうちょうなものとばかり考えていた掛聲は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜こまくを動かした。自分の謡うたいはこの掛聲で二三度波を打った。それがようやく靜まりかけた時に、虛子がまた腹いっぱいに橫合から威嚇おどかした。自分の聲は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も內心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。

それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虛子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓つづみに、自分の謡を合せて、めでたく謡うたい納おさめた。やがて、まだ廻らなければならない所があると雲って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶くさした末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢じゅばんの袖そでがぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞ほめている。フロックはたちまち賛成した。自分は虛子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。

標簽: 虛子  長衣  連中  和服  掛聲